広汎性発達障害児ユッキー、自分の胎児期と出産について語る

広汎性発達障害児ユッキー、自分の胎児期と出産について語る

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ユッキー
オッス、オイラは広汎性発達障害児のユッキー!

ナガユキの長男だい♪

この記事では、オイラが母ちゃんのお腹の中にいたときのことと、オイラが母ちゃんのお腹から外の世界へ出たときのことを話すね(≧∇≦)/

 

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オイラが母ちゃんのお腹の中にいると母ちゃんが知ったのは、2016年4月の最初の頃だった。

ガッキー姉ちゃんの幼稚園の入園式には、つわりでインフルエンザみたいなダルさを抱えて出席したんだって。

父ちゃんは仕事だし、うちは転勤族だから爺ちゃんズ&婆ちゃんズは新幹線の距離。

だから母ちゃんはつわりがしんどくても幼稚園の送り迎えには絶対行ってたんだ。

 

でも、無理はしちゃいけなかったんだろうね。

親子遠足についていった母ちゃん、帰宅したら出血してて(^_^;)

母ちゃんは産婦人科の先生から安静を言い渡されたんだよね~。

でもさぁ、当時5歳と3歳の姉ちゃん2人をワンオペ育児してるワケだから、完全に安静にするなんてできなくて。

「ここ数日は出血がおさまってるから、直立安静にて料理!」

なーんて「なんちゃって安静」だったモンだから出血を繰り返して先生に怒られてた(^_^;)

結局、ふつうの生活のお許しが出るまで6週間かかってたよ。

 

そのころ、オイラは淡々と母ちゃんから栄養もらうために胎盤作り頑張ってたんだ♪

しっかり栄養もらって、いっぱい動いてたよ(≧∇≦)/

 

少しずつ耳が聞こえるようになってくると、姉ちゃんズの賑やかな声や、母ちゃんの声をたくさん聞いてた。

母ちゃんはもう3人目の妊娠だから、お腹に向かって話しかけるのに抵抗感が全然なかったみたい(笑)

いっぱい話しかけてもらってたな~♪

お歌もいっぱい歌ってもらってた。

母ちゃんが「キック、キック」って言いながらお腹をポンポンたたいて遊んでくれることがあったけど(注:キックゲーム)、オイラには数のことはよくわからなかった(笑)

 

そんなふうに、安定期は普通に過ごしてたんだけど…今度は妊娠30週で切迫早産につき絶対安静!

早産で甥っ子ちゃんを亡くしてた婆ちゃんが「父ちゃん母ちゃんにはそんな悲しい思いはさせない」って新幹線に乗って家事をしに来てくれたよ。

それからは婆ちゃんズが1週間交代で家事をしに来てくれて、母ちゃんは今度こそ絶対安静できたんだ。

 

36週に産院でノンストレステストってのをしたとき、バッチリお腹が張ってたから「よくこれで早産にならなかったなぁ」って先生が焦ってたらしい。

オイラが無事に母ちゃんのお腹の中にいられたのは、婆ちゃんズのおかげでもあるんだ(≧∇≦)/

 

結局オイラは妊娠38週で生まれたよ♪

「陣痛じゃないけど、お腹の張りがおさまらない」って産院に行ったらもう子宮口が5㎝開いてたらしい。

というワケで母ちゃんはそのまま入院。

 

オイラ、実はまだすぐに出るつもりはなかったんだけど・・・

母ちゃんが「父ちゃんが明日から出張だから早く出てこーい!」ってスクワットし始めてさ(^_^;)

 

助産師さんが内診すると、頭がさわられるところまでオイラは来てた。

「どうしてここまで下りてるのに出産が進まないのかしら?」って助産師さんは不思議がってたらしいんだけど、母ちゃんが言うには「助産師さんが内診するたびにお産が進んだ」みたい。

 

結局、産院到着から5時間後にオイラは外の世界へ出た。

姉ちゃん2人が産道を広げてくれてたから、オイラが本気出してからは20分くらいでスルッと外に出られたよ♪

見事な安産ってヤツで、出産にはなんの問題もなかったんだ(≧∇≦)/

 

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